世界の国々でどんな飲茶が食べられるかな?
貧乏客船の35日(2)
香港は初めての外国。
ぼくは同室の北川、曽我部といっしょに町に出た。
この町では闇ドルを買うという
ちょっとスリルのある仕事も待っている。
横浜4月13日~4月17日香港
香港に着く頃になると雑居房のきしむ二段ベッドにもすっかり慣れて、夜はぐっすり眠れるようになった。
そうなると船旅は快適だ。
その夜もぐっすり眠って、爽快な気分で目がさめた。
エンジンの音が止まっている。
丸窓にずらりと建物が見える。
ん、香港か? そうや、香港や…
「おい、着いたぞ、香港やぞ」
北川たちを起こした。
北川も曽我部もヌウ、と起きてきて、
そのまま丸窓に張り付いた。
「わあ」
「わあ」
「着いたがな、外国や」
「初めての外国や」
船はもう着岸している。
「さあ闇ドル買うて、うまーいメシもいっぱい食うどぉ!」
三人とも船の食事にはすでにだいぶ参っている。
そして、香港のメシはなんでもすごーくうまいし、
それに物価はものすごーく安いと聞いている。
一等サロンに開設された一時入国手続所で上陸の手続きをして、そしてぼくたちは岸壁を町に向かった。
たちまち「ドル、あるよ、安いよ」「オモシロイ・シャシン・カワナイカ」「エイガ・ミナイカ」と、
この町のいかがわしさがワッとぼくたちを取り囲み、
ぼくたちはにやにやと無視して岸壁を抜け出した。
二階建ての市電が走っていた。
「あれに乗ろう」北川が言い出してぼくたちは市電に乗り、
二階の一番前の席を占拠した。
乗ってどこへ行く、ということは誰も考えていなかった。
2、30分も乗っただろうか、また見覚えのある景色が戻ってきた。
「さっき乗ったとこやな、ここ」
車掌がやってきてもう一度切符を買えと言った。
「そらまあ、そやな」
三人はおとなしく二度目の運賃を払った。
繁華街で下りて両替屋を探した。
この、闇ドルがどうとかいう話は現代には通じないので簡単に説明すると、当時は個人が海外旅行に持ち出せるのは500ドルまでと決められていた。
日本もまだ貧しくて、外貨準備高とかいうのが少なかったからである。
でも、500ドルでは足りないので、多くの人は円をこっそり持ち出し、香港でドルを買う。
闇ドルは当時380円前後で、公定レートの360円より少し高い。それでも店によって多少の値段の差があるので、少しでも安い店をさがす。
これがまたなかなかおもろいゲームでもある。
両替屋はたくさんあった。
みんな宝くじ売り場みたいな小さなブースで商売をしている。
「何値1US$?」などといいかげんな文字を並べて筆談をする。
向こうはすぐ紙切れに値段を書いたり、五玉が二つある不思議なそろばんに数字を置いて見せたりする。
何軒か回って、一番レートのよい店でポケットの円をドルに換えた。
さあ、今度はメシ、ということになり、飲茶の店に入った。適当に入ったら、現地人でにぎわっている。
「この店は絶対うまいな」
「うん、それに安いな、きっと」
「よぉし、食うどぉ!」
エビだのカニだの、高価なものをたらふく食って、
それでいつも神戸の中華街で食べていた餃子定食ぐらいの値段だった。
「なんか、間違うてへんか?」
「いや、ええのよ、こんなもんなのよ、きっと」
それから
アバディーンまで行ってみよう、ということになった。
「バスはあるかな?」
「あるはずやなあ」
「でもそれではおもろないからヒッチハイクしよう」
ぼくたちは一台のトラックをつかまえ、手振りと筆談で交渉した。
運ちゃんはすぐに理解してくれ、三人を乗せて走り出した。
トラックは市街を抜け、舗装の悪い道をデコボコと走り回ってアバディーンに着いた。
「シェーシェー!」
それだけしか知らない中国語でぼくたちは礼を言い、トラックを降りようとした。
「×××××・・・・・」
運ちゃんは降りようとするぼくたちを手振りで制して何か言っている。
「なんて言うてる?」
「わからん」
「ほれ、筆談、筆談」
紙と鉛筆がまた活躍する。
「5$」
「おい、5ドルやと」
「5ドルくれ、言うとるんや」
「そうか、やられたなあ、ただで乗せてくれたんと違うかったんや」。
しぶしぶ5ドル払うと、運ちゃんはまだなにかぶつぶつ言っている。さっきの紙切れをとり、また何か書いてよこした。
「US$」
渡したのは香港ドルだった。
香港ドルと米ドルでは雲泥の差だ。香港ドルで5ドルならバス代よりも安いが、米ドルではヒッチハイクの意味がなくなる。
「ウイー・ハブ・ノー・ユーエスダラー!」
北川が叫びながら運ちゃんの手を逃れて車外に出た。曽我部とぼくも続いた。
「ノー・ユーエスダラー!」
運ちゃんは運転席から恨めしそうな視線をくれながら、それでもあきらめた様子で車を出した。
その後ろへ、ぼくたちはまた叫んだ。
「シェーシェー!」
狭い入り江にサンパンと呼ばれる小船がいっぱい浮かんでいて、その中で貧しそうな人たちが暮らしている。
客引きや物乞いがわっとぼくたちを取り囲み、三人が立ち往生しているところへ、なんとさっきの運ちゃんがやってきた。
「シェーシェー!」
ぼくたちはまたそれを言った。
運ちゃんはぼくたちを取り囲んだ客引きや物乞いに何か言った。
すると客引き、物乞いたちはなんとそそくさと散っていったのである。
「あいつ、何て言うたと思う?」
「こいつらにたかってもあかん。何しろバス代がないから俺のトラックでここまで来たぐらいや。お前らもあきらめたほうがええ、と、そう言うたんや。決まっとる」。
「シェーシェー!」
ぼくたちは今度は少し気持ちを込めて叫んだ。
彼は苦笑して、気のよさそうな笑顔を見せた。
「帰りはバスにしような」
「そうしよう」
「そうしようと思わんでも、もうあいつ乗せてくれへんわな」
九竜の町に戻って、夕食はちょっとましなレストランに入った。うまかったが、神戸の中華街の餃子定食の三倍ほど取られた。
船に戻ったのは八時だった。
三等のドイツ人たち数人が戻っていた。何と彼らは昼も夜も船に戻って食事をしたのだという。
「権利だもんね」
「そう、停泊中だって食事は出るんだ」
ぼくたちもそのことを考えなかったわけではない。
でも船の食事にはうんざりしている。
せめて港に入ったときぐらいまともなものを食べたくないのだろうか。それに旅先で何かを味わってみたいという好奇心はないのだろうか。
それともあいつらそこまで貧しいのかな。
ぼくたちはそんなことを言い合って首をかしげた。そして
「それにしてもあいつらのそういうがめつさには負けるな」
というところに話は落ち着いた。
船内の掲示板に出航が一日延びると書いてあった。
積荷の都合や何かで出航時間はくるくる変わる。
神戸でも横浜でもそうだった。
そのへんが船旅のいいかげんさ、のんきさである。
「香港でもう一日あるわけや。明日は何食うかなあ」
夜がふけても、雑居房の円い小さな窓から差し込む町の灯がまぶしかった。
9月に香港へいきます。一日目は空港に14時ぐらいにつきます。そのごツアーバスにてホテルへ。遅くても16時から自由行動できると思いますが、初日にビクトリアピークへすぐいくか、二日目にいこうか迷っています。もし初日に行くならばホテル着後、ビクトリアピークへ。20時シンフォニーオブライツ鑑賞。夜は女人街散策と考えています。ビクトリアピークを二日目にするなら、初日にホテル着後、女人街や男人街散策。シンフォニーオブライツ鑑賞!二日目に午前中中環→飲茶→スタンレー→ビクトリアピークと考えています!ビクトリアピークを初日にいくか二日目にいくかどちらが行きやすいですか?あと女人街や男人街は夕方行くのと、夜8時ぐらいから行くのはどちらが楽しいですか?あんまり変わらないですかね?
ミスタードーナツの利用方法ミスタードーナツで店内飲食したことがないため質問します。①ドーナツと飲み物を頼む場合。②飲茶メニューを頼む場合。それぞれの利用方法教えてください。
シンガポールで夜でも美味しい飲茶が食べれるお店教えてください!